Tea time with you sometime…

頭じゃなくて、心で感じたままに綴る日々の出来事

ヨガを始める理由

            コーヒー&エンガリーナ(くるみの谷)

 

半年ほど前に、突如思い立って🤗ヨガを習い始めました。昨年の秋🍂、なんだか突然、「自分自身を整えなきゃ」と思ったんです。「整える」って、他になんて説明したらいいんでしょう? 言葉で説明できない衝動でした。

 

実は、ヨガを習うのは初めてではありません。20歳前後の2~3年間と、30代前半の2~3年間、地域のマダム達に混ざって、週1回のレッスンに通っていました。

 

20代の時は、単純に美容のため。1か月足らずのオーストラリアでのホームステイを終えたら急に太ってしまい💦、何とかしたかったんです笑。たまたま、母が奥様たちのヨガ教室に通っていたので、その繋がりで教室に通っていました。

 

30代になってからの2度目は、自分の心の内面に課題が見えてきていたので、そこを解決する糸口を掴むため。20代の時の経験で、ヨガで身体を動かして呼吸法をたっぷりと終えた後、なんだかよく分からないけれど、気持ちがスッキリとして、モヤモヤが消えたことを、身体が覚えていました。それを思い出して、上の子が少し大きくなって外出が楽になった頃に、同じ先生の元に再び通い始めました。

 

20代後半、育児が始まり、それまでの「自分のやり方」というものが通用しなくなって、もがいていた時期でした。

 

当時の私は、「仕事と育児の両立」を意気揚々と目指していました。だって、私は高校生の頃から、仕事をする自分に憧れていたからです🥰 外資系企業でバリバリ働く「独身キャリアウーマン」の叔母の影響だったのかもしれません。都内の素敵なマンションで1人暮らしをしていた叔母の所に、春休みや夏休みに1人で泊まりに行くのが、幼少時からの私の恒例のお楽しみでした😌 そんな憧れを胸に抱きつつ、同時に私は、平日の日中、幼いわが子とのんびり過ごす時間というのも大好きでした。ポカポカ陽気の中、子供と一緒に散歩したり、公園に行ったりする時間の幸福感は、なかなか他では味わえないものでした😌。 今でも思う出すたびに、幸せな気持ちになります。

 

だから、30歳前後の私は、週の半分を仕事、半分を育児の時間にすべく、奮闘していました。が、まあ、そんなに理想通りに行く時ばかりではなかったです。いえ、表面的にはなかなか、上手くいってたんです。とても理解のある上司や、周囲の人達に助けられ、仕事と育児を両立する環境は有難いほど、整っていました。上手くいっていなかったのは、私自身でした。

 

もっと仕事をしたい。もっと自分のことに集中できる時間が欲しい。でも連日の子供の夜泣き続きでまともに眠れない、朝も昼間も一旦泣き出すと、近所の人に通報してされるんじゃないかと思うほどんギャン泣きが止まらない。もちろん、自分で出来る限りの努力はしました。でも一時的に良くはなっても根本解決はせず。私の日々の不満やイライラはどんどん募っていきました。それどころか、子供には、アトピー性皮膚炎のような症状が続き、挙げ句の果てには、3歳児検診で、もしかしたら重い病気に罹っているかもしれないです、という医師の診断まで受けてしまいました。これがとどめとなり、私はようやく、自分の内面に目を向け始めました。心身ともに疲弊する中で、「何かが違う」という思いが自分の中に湧いていました。何か、小手先の対策でどうにかなる話ではない、と感じていました。でも「何が違うのか」は、当時の私には分かりませんでした。

 

自分が意識出来る範囲で全力で努力して物事が解決しない時(むしろ状況がどんどん悪くなる時)は、努力が足りないんじゃないんだと思います。自分が意識出来てない「無意識」の領域で、何かが「間違っている」んだと思うのです。間違った方向を向いて、全速力で走ったら、そりゃ間違ったところに行ってしまうわけです。当時の私にも、感覚的にそれだけは分かりました。自分は、根本的に間違った方向に狙いをい定めて、アクセルを踏んでいるのだと。

 

だから、ヨガ🧘を再開しよう!と思ったんです。自分の「無意識の領域」にアクセスできる手段が、ヨガ🧘だったのです。身体をほぐし呼吸法をしたあとの「もう、なんでもいいや。自然の流れに任せるわ~」という緊張のほぐれた状態。「自分はこうしたい!」「自分がはこうなりたい!」という思いと、それを実現するための「力技💪」みたいな力み。10代半ばからこんな気持ちでやってきて、自分なりに思う通りの結果を得てきたものだから、それが正解だと信じていたけれど、もしかしたら、もうこのやり方は違うのかもしれない、でも他に方法を知らない。だから、一旦「力み」を解いて、自分の潜在意識に委ねてみようと思ったのです。他に為す全てがなかったから。

 

そして、今回3度めのヨガ再開。今回は、これまでの人生の棚卸&新しい人生の立て直しのため、かもしれない。これまで知っていた人生の枠組みの外にでて、これまで体験したことのない、そして、周りにモデルのいない完全オリジナルの自分の人生を見てみたい、という好奇心マックスの心境です🤩 人生が「詰んだ」から、というよりは、もし今まで大事と信じてしがみついてきた何かを、パッと手放してみたら、どうなるんだろう?人生終わるのか??それとも、まだ見たことのない幸福感を手にするのか???おそるおそるだけど、後者に賭けてみたくなった50代です(笑)。

 

人生はたった一度きり。そして、50代ともなれば、もう今始めなかったら、チャンスを逃してしまうかもしれない。

 

そんな気持ちで、衰えが始まっている自分の身体と日々向かい合いながら、ヨガを楽しんでます😝

自分のエネルギーを取り戻す。

六花亭の「雪やこんこ」とアールグレイ♪

 

先日、縁あって、半年ほど家庭教師をしていた子が、進学先の高校で、生活も勉強もすごく順調にいっている、という嬉しい報告をもらいました😊

 

意思が強くて、愛想笑いなどしない素直な子です。決して大人びているというわけではないけれど、大人の私とも対等に会話ができます。「対話」という面において、話ができるくらいにさえ成長していれば、年齢なんてあまり関係ないのかもしれません。子供と話をしていると、大人の私がハッと大事なことに気づかされることがあり、そういうところがとても面白いです☺️

 

そんな彼女ですが、「発達障害」という診断を受けているそうです。聞いて驚きました😧どこが発達障害なのか、私にはさっぱり分からなかったから。でも、本人は、学校という集団生活の中で出来ないことが多々あったりして、辛かったんでしょうね。詳しい話は聞いていませんが、自分から病院に行きたいと言って、診断を受けたんだそうです。学校って、特に自分の意志が強い子供にとって、なかなか厳しいところですものね。よ~くわかります😑。でも、一体、「障害」って何なのか。いまだに、分かりません😅。

 

さて、私がその子(Oちゃん)に教えていた教科は英語でした。半年後に受験があるのに、まだ「be動詞」もよく分からなくて、、、でも塾には行きたくないと本人が言うので、、、とお母さんが途方に暮れていました😞 もう藁にもすがるような状況だったこともあって、たまたま学生時代に留学と家庭教師経験があった私が、なんとかやってみましょうか💪という流れになり、週1回の授業が始まりました。

 

ちゃんと納得しないと次に進めない性格なのでしょう。最初は、日本語とは全く異なる英語のルールが全く頭に入っていかなくて、確かに、「be動詞」も怪しい状態でした。主語や時制に応じて変化する単語に「???」と思ってる間にも、学校の授業はどんどん進んでいき、あっという間に受験生。真っ暗な夜道を手探りでヨロヨロ進んできた、みたいな状況だったのが10月。焦るのも当然です(笑)。

 

でも、ここから個人指導の威力発揮です💪!何度か授業をしながら、Oちゃんの物事の理解の仕方を探っていきます。試行錯誤しながら辿り着いた、完全オーダーメイドの学習方法で、結果、なんとか入試レベルの英語力に到達して、今は、なんとクラスで「英語が得意な子」という嬉しい「レッテル」を貼られているそうです🤭

 

私とOちゃんの相性がたまたま良かったという幸運もありましたが、私が嬉しかった事は、一緒に英語の勉強を始めてから、思いがけず、Oちゃんがだんだんと生き生きとしてきたという事です。学校のカウンセラーさんとの定期的な面談で、そういう報告をお母さんが何度も受けたそうです。多分、学校生活の中で他の多数の子には出来る事が、同じようにはなかなか出来ない、という体験を何度も積み重ねていくうちに、「自分は出来ない人間」だと自信をなくしてしまっていたのではないでしょうか。初対面の時、私の目を見る事が出来なかったし、しばらくは前髪で目を覆っていたOちゃんです。そんな彼女が、自分にも出来る💪という体験を通して、本来のエネルギーを少しでも取り戻せたのだとしたら、これほど嬉しい事はありません😉。

 

人って、本来生きていくのに必要なエネルギーと共に生まれてくるものだと思います。良くも悪くもいろんな経験をする中で、自信をつける事もあれば、逆に失う事もある。大きく、または長期的にじわじわと自信を失う経験をしたら、自分自身に「ダメな自分」「弱い自分」というレッテルを貼るようになっても不自然ではありません。この、自分が自分に張り付けるネガティブなレッテルが、厄介なんですよね。大人だって、そこは全く同じなんですが、生きている年数分、経験から、多少図太くなって、生き易くなってきたりはするけれど😅。

 

素直で意思が強い人は、自分自身に対するネガティブ・レッテルも、「貼りやすくて、剝がれにくい」のかなと感じます。でも、この「素直さ」は同時に、別の角度(次元?)からの刺激を受ければ、簡単に貼られたレッテルを剥がすことが出来るのかもしれません。Oちゃんが、学校の授業とは多分異なるやり方で英語の勉強をしていくにつれて、みるみる自信を取り戻していったように。

 

受験生だったOちゃんにとって、私との英語の授業が「別の角度/次元からの刺激」となったように、今現在、不登校など学校生活で困っている子がいたら、是非、近くの大人が、その子が自信を取り戻せるような「何か」を、試行錯誤しながら探しあてるお手伝いをしてあげて欲しい。そのプロセスは、きっと、その子がエネルギーを取り戻すきっかけになると思うし、同時に、実は大人にとっても、自分自身のエネルギーを取り戻すきっかけになるとも思うのです。

好きなことは何?

先日、同世代の同僚達とごはんを食べに行った時のこと。

ちょっと年上の同僚が、酔った勢いで、日ごろの心のモヤモヤを語り出しました。

 

「今の職場では、所詮自分なんていなくてもいい存在なんだよね~、経験だって浅いし、結局指示を受けたことしか出来ないし。辞めようかなとか思うんだよね」とか云々。そして、「そんな私だけどさ、昔は結構稼いでいた時だってあるし、大きな家に住んでた時もあるし、、、云々」と、詳細は忘れたけれど😅、隣の席のすっかり酔いがまわってた友達が寝てしまうほど、長々と自分ことを語り続けていました。

 

彼女がひとしきり話終わったタイミングで、私は「Hさん、いちばん好きなことって何?」って唐突に聞いてみました🤭。だって、勢い付いて彼女が語り続けていたことは、全て「出来事の羅列」だったから。彼女の気持ちというか、体温を感じるような生きた感じが抜き取られた、データのようなものに感じられたんですよね。お金をたくさん稼いだいた時、どんな気持ちだったのか。お金を稼ぐこと自体が好きだったのか。それともお金は稼げたけど、自由な時間が減ってあんまり幸せじゃなかったのか。あるいはもうウハウハ🤩で嬉しくて仕方なかったのか?そんな生身の感情が乗った話だったら、きっと隣の友達は寝なかったと思う(笑)。

 

今の彼女は、どこかの田舎で農業をやってみたいんだそうです🤗ランチタイムにも時々そんなことを言ってるから、一応本心なのかな?とも思います。実現を夢見て、ちょっとでもできる事をやってみたらいいのにな。一歩動けば、きっと何かが変わるから。どう変わるかは分からないけれど、少なくても「自分なんて職場に必要な人間じゃない」なんていう言葉は口からでなくなるんじゃないかなと思います。

 

ちなみに。

私は、今の仕事はそろそろ終わりにして、この数年間抱いてきた夢を叶えられそうな別の仕事に就くべく、ちょっとずつ具体的に動き始めています。まだ、ここだけの秘密です🤫 求人情報を検索してもピンとくる仕事は見つかっていないし、自分でも、どんな形でその夢が実現できるのか、よく分かりません😅でも、頭の中には、まだ形にならないイメージみたいなものだけはあります。だから、焦らず、プレゼントの包みを開ける前のようなワクワクした気持ちで、リサーチを続けながら、その時を待とうと思っています🤗

待っている間は、今の仕事をちゃんとして、「その時」が来たとき困らないように健康管理もして、、、ハマっているヨガと推し活を漫喫しながら、「今」という時間を大事に過ごそうと思ってます!

喪失感を乗り越える。

長年通っていたスーパーが、もうすぐ閉店するということを、今日初めて知りました🥺

 

他にもお店はあるので、すごく困るというわけではないのだけど、なんだかすごく寂しい😔

こういう喪失感、初めてではないんだけど、何度経験しても、やっぱり胸がキューッとなって、すごく悲しい。

 

住み慣れた家を引っ越す事になった時、お気に入りのお店が閉店した時、仲良しだった友達が引っ越した時、仲の良かった同僚が職場を去った時、などなど。だんだん慣れてきて、胸がキューっとなる感覚は無くなっていくけど、でも思い出すといつだっていなくなった人やモノを思い出しては、寂しいなあという気持ちにはなる。

 

大事な人がこの世を去った時に感じる悲しみも、この喪失感の延長線上にあるような気がします。

 

ちょうど今から3年前に、親友みたいな関係だった母を亡くしました。2年間の闘病の末だったので、心の準備も出来ていたし、最後は苦しそうだったから、楽になってよかったね、と亡くなったと知った瞬間にまず思いました。

 

でも、次の瞬間から感じ始めた、「失った悲しみ」という気持ちを感じることは、本当に辛かった。1人になると泣いた。失うことがこんなに辛いなら、この世で会わなければよかったのに、という気持ちになったのを、今でもリアルに思い出します。

 

ただ、同時によく覚えているのは、そんな風に悲しがって泣いている自分を、斜め上から眺めている自分もいるという不思議な感覚でした。「こんなに悲しい思いをするくらいなら会わなければよかったのに」と思っている自分自身に「ドラマのセリフみたいだねえ」ツッコミを入れている自分😅。

 

母が亡くなった日から、いわゆる49日までは、そんな感じの日々が続きました。以降、徐々に泣く頻度が減っていき、3年経った今は、時々改めて思い返すとちょっとウルっとくる時もあるけれど、「辛い」っていう感覚はほぼありません。

 

49日というのは、何かの節目なんでしょうか?この期間、抑えることなく存分に悲しみという感情を味わい尽くす事が、もしかしたら、着実に喪失感を乗り越えるコツなのかも、と今は思っています。悲しみに溺れそうになっている自分を、斜め上から見ている自分。この存在に気づいていることが、本当に悲しみに溺れない秘訣なのかもしれません。そして、悲しくて胸がギューっとなる感覚も、無理やりごまかしたり、感じないふりをしないで、時間の経過に任せてそのまま味わっておくと、自然現象のように薄れて行くという事を信じること。

 

自分という不思議で力強い存在を信じている事で、大事な存在を失う、という強烈な喪失感さえも、ゆっくりと、でも着実に乗り越えられるのではないかな、と思います。

自分の『エゴ』と目が合ってしまった瞬間。

今日は、久しぶりに悶々とした気持ちで、仕事から帰宅しました😒

 

別に何があったというわけでないのですが、職場で雑談をしている最中に不意に自分のささやかな『エゴ』と目が合ってしまいまして 、、、😔。なんか情けない自分だなあ...と思いながら家に向かいました。

 

実はここ数年、自分と真剣に向き合う、というチャレンジをしています👑。正確には、ずっと見ないふりをしてきた自分の弱さに真正面から向き合うというトレーニング。心の筋トレ?みたいな感じです。

 

以前は、怖くて出来なかったんです、自分の心の陰の部分=エゴと向き合う事が。心理学に興味があって入った大学を、心の仕組みをこれ以上掘り下げるのは怖い😖という気持ちもあって、1年で辞めてしまったくらい😅。(もちろん、辞めた理由はそれだけではないんですが)

 

多分つい最近まで、自分の弱さをまともに受け止める事は出来なかった気がします。なんだかモヤモヤしてきたら、心の中で、環境や他人のせいにしたり、他の事で気を紛らわしたりして、その場を凌いでいた。モヤモヤしてる時って、自分の弱さが表に浮かんできている時でもありますよね。そんな弱さを見たくないし認めたくないから、「なきもの」として、自分の心の目を誤魔化そうとしてきたんですね。

 

でも、深いところで、自分は知っているんです。自分が自分自身を誤魔化している事を。そんな事を繰り返していると、いつまで経っても、自分に自信が持てないままなんです。そうすると、人と比べて落ち込んだり、嫉妬したりして、さらに自信をなくすという悪循環に陥る。

 

そんな自分を卒業しよう!と思って、ダメな自分が出てきても、できるだけ静観するようにしていて、そのお陰かは分かりませんが、なんだか最近他人と比べて落ち込む、っていうこともなくなってきたなあ、良し良し、と思っていたんですが、、、。

 

自分の子供とほぼ同世代の同僚と会話をしている最中に、自分を実物よりも格好良く見せようとしている、ダサい自分を垣間見てしまったんです。その同僚は、とっても素直で自然体で、可愛いルックスを持ちながら、自分の冴えない部分やカッコ悪い所も、隠すことなく認めいて、人前でも取り繕うことなく自分を見せる。人前でいい顔をしようなんてこともせず、相手が誰であっても、常識的な範囲で自分が思った通りの気持ちを表現する。そんな20代の同僚を、昭和世代の自分は、いつも眩しいなあと思いながら見ているのです。で、その子と会話をしている最中に、私は、ふと、自分が「自分でカッコいいと思っている自分」を装おうとしていることに気づいてしまったのです。

 

彼女の素直さが、私自身の正直さや素直さから外れた部分を「不自然なもの」として浮き彫りにしてくれたんだと思います。ありのままも自分じゃカッコ悪いと思っている自分。ちょっと装わないと人前には出たくないと思ってる自分。等身大の自分には何かが不足していると思っている自分。そんな自分の「エゴ」が、思いがけず浮上してきて、目👀が合ってしまった。だから、なんか心のなかで、気まずい感じになってしまったんですね。完全に心の中の一人芝居ですけどね(笑)。

 

なんだかんだ言っても、まだ自分は自分自身のことを丸ごとは認めていないんだな。ごめんね、自分。自信がなくておどおどしてる子には一生懸命寄り添おうとする自分なのに、自分自身のことはそっちのけでした。悪かったね~って自分に謝りたい気分です。

 

苦手なこともあれば得意なこともある。冴えないところもあればカッコ良いところもある。弱いところも強いところもある。陰と陽が同時に存在しているのが自然の法則。

 

自分自信をまるっとそのまま受け入れて、緊張しないで肩の力をぬいて、いつでも自然体でいられる自分になりたいな〜と思います☺️

blogを始めた理由 〜お茶の時間が好きだから〜

先日、誕生日🎂を迎えたのを機に、blogを始めることにしました。

 

理由は色々あるのだけど、いつからか、自分がいろんな年代の人たちから、困ってる事やちょっとした悩み、心のモヤモヤを打ち明けられて、立ち話やお茶をしながら話をしているうちに、その人たちが元気になっていく事に気付き始めたから。もしかしたら、自分が発する言葉が、誰かのお役に立てるのかも知れない、と何となく感じたのです。

 

どうやら、私は話がしやすいようなのです。私自身も、人の話を聞くのが大好きです。聞いているうちに、相手のことをもっと知りたくなってしまい、楽しいのです😊相手は、子供から自分の親くらいの年上の方々まで、本当に様々。

 

同時に、私は自分の事を話すのも大好きです。だから、お茶🫖を飲みながら、人とゆっくり話をするtea timeが好きなのです。ごはんを食べながら、よりも、やっぱりコーヒー☕︎やお茶🫖を飲みながら。食べる事よりも、話をしたり聞いたりする事に、ちゃんと集中できるからです。

 

多分、私は、自分と話しをすることで、相手がなんとなくでもちょっとでも良い気分になってくれる事が、純粋に嬉しいのです。

 

相手が子供であれ大人であれ、会話をしているうちに、自分に心を開いてくれる瞬間を感じる時、私は心から嬉しいし、そう感じる自分自身のことも好きなのです。人の口から出てくる言葉は、必ずしもその人の本心通りではありません。でも、私の心が感じ取る、相手の心がふわっと開く瞬間、そしてその瞬間に見えてくるその人の本当の姿は、きっと本物だと信じています。心が開いて本当の自分が現れた時、その人は、気持ちが軽くなって気分が良くなるのだと思います。

 

blogという場で、そういう事が出来るのか分からないけれど、自分自身の新たな試みとして、自分の体験や今の思いを日記として綴ることで、自分自身の更なる気付きとなったり、読んでくださる方のお役に立てたら嬉しいなぁと思っています。

 

長い前置きのようになってしまいましたが、もしこの日記が誰かの目に留まって、その人の人生のお役に立てることがあったら、私は心から嬉しいです😉