
長年通っていたスーパーが、もうすぐ閉店するということを、今日初めて知りました🥺
他にもお店はあるので、すごく困るというわけではないのだけど、なんだかすごく寂しい😔
こういう喪失感、初めてではないんだけど、何度経験しても、やっぱり胸がキューッとなって、すごく悲しい。
住み慣れた家を引っ越す事になった時、お気に入りのお店が閉店した時、仲良しだった友達が引っ越した時、仲の良かった同僚が職場を去った時、などなど。だんだん慣れてきて、胸がキューっとなる感覚は無くなっていくけど、でも思い出すといつだっていなくなった人やモノを思い出しては、寂しいなあという気持ちにはなる。
大事な人がこの世を去った時に感じる悲しみも、この喪失感の延長線上にあるような気がします。
ちょうど今から3年前に、親友みたいな関係だった母を亡くしました。2年間の闘病の末だったので、心の準備も出来ていたし、最後は苦しそうだったから、楽になってよかったね、と亡くなったと知った瞬間にまず思いました。
でも、次の瞬間から感じ始めた、「失った悲しみ」という気持ちを感じることは、本当に辛かった。1人になると泣いた。失うことがこんなに辛いなら、この世で会わなければよかったのに、という気持ちになったのを、今でもリアルに思い出します。
ただ、同時によく覚えているのは、そんな風に悲しがって泣いている自分を、斜め上から眺めている自分もいるという不思議な感覚でした。「こんなに悲しい思いをするくらいなら会わなければよかったのに」と思っている自分自身に「ドラマのセリフみたいだねえ」ツッコミを入れている自分😅。
母が亡くなった日から、いわゆる49日までは、そんな感じの日々が続きました。以降、徐々に泣く頻度が減っていき、3年経った今は、時々改めて思い返すとちょっとウルっとくる時もあるけれど、「辛い」っていう感覚はほぼありません。
49日というのは、何かの節目なんでしょうか?この期間、抑えることなく存分に悲しみという感情を味わい尽くす事が、もしかしたら、着実に喪失感を乗り越えるコツなのかも、と今は思っています。悲しみに溺れそうになっている自分を、斜め上から見ている自分。この存在に気づいていることが、本当に悲しみに溺れない秘訣なのかもしれません。そして、悲しくて胸がギューっとなる感覚も、無理やりごまかしたり、感じないふりをしないで、時間の経過に任せてそのまま味わっておくと、自然現象のように薄れて行くという事を信じること。
自分という不思議で力強い存在を信じている事で、大事な存在を失う、という強烈な喪失感さえも、ゆっくりと、でも着実に乗り越えられるのではないかな、と思います。